カサカサ日記

寝ながら書いてる

いのちと気の元 みなもと 共にあれば心 今ここ

ここ一週間ぐらい、離人感が強くて心ここに在らずと言ったところ、家にいる時も 働いている時も。

‘我思う故に我あり’ と哲学者は言っていたけれどそんなことはなく、我を思う我を俯瞰で見ているような毎日、我 ないなった。疲れているだけだと思うけれど、日に日に我と記憶がすり減っていく恐怖とお付き合いしている。

 

離人感が発生すること自体は今に始まった訳ではなくて、1番古い記憶で小学二年生の時、名古屋港水族館のイルカショー見てる時にふわっと自分が抜けた。隣に自分の家族がいるのに自分だけ迷子になったような感覚、帰らなきゃとか よくわからない焦りがあった。冬なのにめっちゃ汗かいたの覚えてる。ショーを見終わったあと、しばらくぼーっとして全然動けない私を見て両親はイルカ好きだからねぇとか言ってた、見惚れてたように見えてたんだろうな。その後はそれまではしゃいでたのに心ここに在らずで名古屋港の南館を見回った。帰りの車は爆睡してた、帰り道にラーメン屋に寄った、雨が降ってて寒いのに外で並んで待ってたな。

小学二年生の時に離人感なんて言葉知ってるわけもなく、なんか不思議な感じしたなぐらいに思っていた。親に話してもよっぽど楽しかったんだねぇとか、気楽な人たちだった、みんな楽しかったりするとそうなるものかと思ってた。

 

その後も離人感が出るタイミングは何回かあったよ。給食たべてる時とか、かくれんぼしててかくれてる時とか、クラス替えで周りの人が知らない人ばかりだった時とか、どこか旅行へ行った時とか、母が買い物してる間に祖父とゲーセンで遊んで待ってる時とか(小学生の頃のゲーセンは結構な離人ポイントだったな) 中学の武道場とかいう体育館とは違うもう1個の体育館的なとこに居る時はいっつもヤバかった。あとは自分が誰かに怒られたり誰かが怒られているのを近くで見ている時にふわっと離人してた。中学上がったぐらいから怒られによる離人は現実逃避でこうなってんだろうなぁって思ってた。

これ書いてたら色々思い出してきた、小学生の頃に洋上教室?みたいな 友達2人と知らん同年代の子ども達と船に乗って九州に行く的な旅行の時も離人感でっぱなしでずっとふわふわしてたな。普段はバカはしゃぎクソガキだったから一緒に行った友達も体調悪いのか心配してくれてた記憶ある。今もあるんだろうか、洋上教室。うちの親がけっこうそういうイベント事には行ってこーーーーーーーいって感じの人だったからデイキャンプも何回か行ったけど毎回離人してたな。

この感覚について親に話しても緊張してるんだよとかそんな答えしか帰ってこなくてみんなそうなんだろうなぁと思ってたけど、中学2年の頃 家にインターネットがやってきたのでちょこちょこ離人感について調べてた。‘現実感消失症’ これだーーーーー!!!!!!!!!!!ってなったよね、まじで。でもそうなる原因を見ても 強いストレスはまあ知らない場所に来たら子どもならストレスだわなぐらいだったし、生活に支障が出る訳でもないので自分がこの病気だとは思わなかった。中学の修学旅行の時とかもヤバかった気がする、疲れもあったんだろうけど昼に行ったもんじゃ焼き屋さんがジョッキに水入れてくるタイプのところだったんだけど普通に水飲みながらジョッキ落として割っちゃったよね、離人関係ないかこれは。

高校は中学とは違って電車にもバスにも乗らなきゃいけないところで慣れるまで、特に電車はいつも満員だったからずっとふわふわしてた。ふわふわしてた方が楽だったし。専門の時は実習とか研修とかオーストラリアとか色んなとこ行ったけどそこまで離人感なかったなダイビングの時はヤバかったけどダイビングってそういうものだしなぁとか思ってた。またやりたいなダイビング。

高校の頃に離人感のそれについて話した人がいて、なんかうちのその話メモしてくれてたらしい、愛だよね。無くしちゃったみたいだけど。

 

いや昔の話で1000文字以上書いてしまった昔話がしたいんじゃなくて最近やばいって話がしたいんですよ。読んで欲しいのはここからで、労働中に離人感来るのはヤバいっていう話。

接客業してるんですけど、離人感来てると明らかに頭まわせてないからお客さんと話す時全然言葉が出てこないんですよね。ブロンのふわふわ感とかカフェインのぴきぴき感とは真逆で人間としてのパフォーマンスが落ちるんだよ、これ。今まで労働中に離人することあんまり無かった気がするんだけど最近はなんか気分も落ち込んでくるしさぁ、波がなくてずっと離人感あるから人間のふりして生きてるみたいで怖いんだよ。疲れてきた、労働がどうとかって話じゃなくてずっと自分を自分じゃないところから見てる感じでいる事に疲れてるんだよ。冒頭でも書いたけど自分がどんどん人間じゃなくなっていく、自我が失われていく感じ。何者にもなれないんだなって気持ちとかもあるんだろうか、同じことの繰り返しで楽しくないし、楽しいことがあっても楽しいって感じないんだろうな。

最近記憶の引き出しもぶっ壊れてしまった、と言うか記憶の引き出しがめちゃくちゃ小分けされてしまった感じがする。何か思い出そうとすると 本屋さんへ本を買いに行って本を探す時、著者名順なのか 出版社順なのか何もわからない状態で欲しい本を探している感じ。確実に引き出しに入れてはいるから思い出せるんだけど時間がかかる。そして1度開いた引き出しは意識して閉じないとずっと開きっぱなしになる。終わったはずの作業もやらなきゃ行けない作業としての記憶で引き出されてるからもう1回同じ作業しようとするし、音楽とかMCバトルのバースをふと思い出しちゃうと中毒性の有無に関わらずずっと無意識に脳内再生してしまう。トコジラミアルバムずっと脳内再生されるの地獄すぎる。

このブログ書き出してたら昔の色々なこと思い出せたから昔のこと書いてるけど日常で必要なのはそんな思い出し能力じゃなくて、数時間前、数分前に言われたことを覚えておく能力なわけで、なんかうまく説明できないから手書きのこれを見てほしい。

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こんなに自己分析出来ているのに労働中は離人感でふわふわしてぼーっとしてる自分しか見つめられなくて辛いよ、最低限やるべき事はしっかりやってるんだけどね。自分が自分に対してそれ以上の仕事を求めてしまっているのかもしれない。

 

まあこんな状態で人に紛れて生きてくのは嫌だという話で、何をどうすれば解決するのかもわからないけどとりあえずメンクリとか行くのが正解?OD辞めるのが正解?わからない、死ねば全部解決するんだけどな、それが一番手っ取り早いと思ってしまうな。

今までX(旧Twitter)の非公開アカウントでヒソヒソ共有していたこのブログだけど 広い友達とか職場の人も見てるインスタで共有してうちのメンヘラ具合を晒してやろうかな、誰も読んでくれないだろうし典型的なメンヘラムーブで嫌だけど、そういうの。てか今もう夜中の1時なんだけど労働中は気分落ちてて夜中は寝れずに自己分析してこんなブログ書いてるあたり躁鬱の疑いもあるよなぁとか思ってしまうしやはり行くべきはメンクリか、本格的に労働に支障が出る前に。

 

 

人任せでは見つかんない答え もう大人しくしてらんない